こちらはざっくりとしたメモ書きみたいなものなので今後も加筆していくかもしれません。
しっかりと体系だったものではないですが、演出の入り口を見つけられない方には有効なのではないかと思い、作成しました。
もしよろしければご参考ください。
とにかく映画も本もたくさん読むのが大事だと思いますけど、演出に求められる能力として、 映画批評というか『脚本と対応したレイアウトの意図を説明できる能力』が大事だと思います。 つまりシナリオで求められている表現したい感情を、表情や芝居だけでなく、 レイアウトで表現できているかが、映像演出のひとつであり、その連なりが個人個人の個性になっていくと、『~~さんの映像文法』という物を作り上げていくことが必要だと思います。
たとえば「群衆の中での孤独な人」を描く際に、 A「引きの真ん中に立ち止まった主人公を配置し、まわりの人たちを歩かせるレイアウト」 あるいは B「ウェストショットで立ち止まった主人公を手前に大きくボカして配置して、その後ろにピントのあった人たちを歩かせるレイアウト」 というように、一つの状況に対して、無数のレイアウトのパターンがあると思います。
ですが(うろ覚えですが)デヴィッド・フィンチャー監督が言うように、 「ある一つのシナリオに対して百の演出がありえると言うが、私は一つの演出しかあり得ないと思う」 というような意図の発言をしていました。 これはデヴィッド・フィンチャー固有の映像文法がある―― 自分の演出に対する確固たるヴィジョンと自信があるから言える言葉だろうと思います。 (ちなみにフィンチャーは映画「ヒッチコック/トリュフォー」で、「映画術 ヒッチコック・トリュフォー」という本でカット割りを学んだと言っていました)
日本語と英語、各国の言葉の文法が異なるように、演出家ひとりひとりが映像文法を持っているはずです。 ただし自分の好きな演出=映像文法で、どんな作品もやればいいという訳ではなく、 原作の表現にあった演出、特に実写アニメ問わずテレビシリーズでは、 監督の映像文法に寄せないと監督に修正されてしまうというリスクもはらんでいます。
だいたい日本のアニメでは放任主義の監督ではない限り、 監督のコンテに寄せて描いた方が喜ばれがちですが、
毎話数、演出による味の違いを出していきたい監督もいるので、 作品/人/現場によりけりで、「一概にこう」とは言えません。
ただ作品の方向性をひとつに揃えたいような現場であれば、 監督/原作の属する映像文法の派閥のようなものを意識して描いた方が良いと思います。